マジック・リアリズム

「夢も希望も、前向きな絶望に他ならないよ」かつて僕のおちんちんはそう言い放った。僕はそれに概ね同意したし、以来少なくとも彼に向かっては、握ると砕けて砂になるような現実的な言葉だけを口にした。そして彼もそんな僕の現実的な手に触れられると心地好さそうにしていた。僕らはいつも一緒にいたし、そうした関係はこの先もずっと続いていくものだと思っていた。正確には、それが終わるなんて考えてもみなかった。
 今朝、彼が姿を消したその時までは。
二段ベッドを転げ落ちて、机の上に目をやると、冷めたコーヒーと共に数枚の便箋が置いてあった。
「最も近しい他人へ」
彼らしい丁寧な字で、しかしそこには夢が綴られていた。
 『まずは突然の別れを詫びたい。すまない。これは決して、君と一緒にいることに困難を感じたわけでも、このまま一緒にいたら僕が幸せになれないからという訳でもないんだ。お互いのためにこうすることが一番だったからなんだ。
僕にはずっと夢があったんだ。そしてそれは君もそうだったでしょう? 君はいつかの僕の言葉を覚えていて、それを表には出さなかったけれど、僕にはそれが分かるんだ。何故なら僕は君で、君は僕なんだから。
 そう、僕らには夢がある。それは一人の魅力的な女性のカタチをしている。背の低い、カールがかかったショートヘアの女性だ。そうだろう?彼女は僕らと同じでビートルズのアルバムの中では「ラバーソウル」が一番気に入っていて、英米文学とフランス映画が好きだ。そして僕らは彼女と空が落ちるような恋がしたい。そうだろう?短編小説を読んで、映画を観て、あれこれと言い合いたい。思いつきで車を走らせてぼんやりと星を眺めたい、しかし意外と星が見えない。でもこれはこれでいいよねなんて言って、いいえ全然よくないわ、なんて言われて笑い合いたい。真夏のオリーブ畑で甘い恋愛映画みたいなことをして、まるで甘い恋愛映画みたいだね、なんて言いたい。そうだろう?
 だから僕は、僕らにとっての夢の女の子を、現実に見つけに行く。夢は前進のエネルギーだ。そうだろう?』

 そうだ。僕らには夢がある。そう呟いて、僕はすっかり冷たくなったコーヒーを一口で飲んだ。そして落ち着かない気持ちでパンツを履き、スラックスを履き、シャツを着てジャケットとロングコートを羽織り、まだ見ぬ女性の影を求めて街へ飛び出した。

 


……そうなんです。これがマジック・リアリズムなんです。こんなガチガチの童貞の理想的な女性像の話なんて、リアリズムで書かれたら、書いた者も読んだ人も気持ち悪いと感じます。そんな悲劇を生み出さないのがマジック・リアリズムなんです。世界にはマジック・リアリズムでないと伝わらない言葉があるんです。

 

  それでは今夜はこの曲と小説を紹介してお別れしたいと思います。ビリー・ジョエルで「ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」。
ガルシア・マルケスで「百年の孤独」。
おやすみなさい。よい夢を。